鉄狼です。
以前、「嫌われる勇気」の書評をしました。
今回はその続編である「幸せになる勇気」を紹介します。
嫌われる勇気では青年と哲人の対談形式でした。
今回もそれが踏襲されています。
青年は教師に転職しており、生徒との関係で悩みを抱えているという設定です。
前作で分かりにくかったところなどが掘り下げられています。
特に愛のタスクですかね。
今回は印象に残った箇所を抜粋して紹介していきます。
アドラー心理学には本当に救われますよ。
幸せになりたい人にとっては必読書です。
幸せになる勇気 岸見一郎 【抜粋】
・変われない本当の理由
変化することは死そのもの。
しかし、死を決断することは簡単ではない。
今までの自分を否定する行為ですからね。
だから人は変われない。
すると、どんなに苦しくてもこのままでいいんだと思いたくなる。
そして、このままでいい材料を見つけるように生きるようになる。
今の自分を積極的に肯定しようとするとき、色々あったけど、これでよかったのだと総括するようになってしまう。
つまり、今を肯定するために、不幸だった過去をも肯定してしまう・・・。
そういう意味で、あなたの今が過去を決めるのだと。
それでは、過去に満足していない人とは・・・。
それは、今の自分に満足していない人になります。
今の自分を正当化するために、自身の過去を灰色に塗りつぶす。
もし~だったら自分はこうなっていなかったと、可能性の中に生きようとしてしまいます。
これが変われない理由です。
そこで、アドラーは過去ではなく、「これからどうするか」に目を向けよと主張します。
「嫌われる勇気」の通り、現在の状況に過去は全く関係ない。
過去など存在しない。
過去は今の自分が決めているものであり、本質的には存在しない。
過去を切り捨て、今現在の状況だけに目を向け、これからどうするかを考える。
そうすれば変われる!
・仕事に身を捧げるだけでは幸福を得られない。
「嫌われる勇気」では「信用」と「信頼」の違いが述べられていました。
信用とは条件付きで相手の事を信じること(金融機関など)。
それに対して、信頼が無条件に相手を信じること(当然裏切られることもある)。
仕事とは「信用」で成り立っている関係です。
そして仕事によって信用されているのは、あなたではなく、あなたの「能力」ですよと主張します。
仕事で認められるのは「能力」のみ。
だから自分より能力の高いものがいれば、平気でその立場は入れ替わってしまう。
そういう意味で仕事では本当の所属感を得ることはできないといいます。
所属感は幸せの源です。
仕事はそもそも信用の関係で成り立っていますしね。
信頼ではありません。
所属感を得るには、他者に信頼を寄せて、交友の関係に踏み出すこと。
会社で所属感を得るには、会社の人間を信頼していくことでしょう。
しかし、現実的に全員を信頼できるわけではありませんし、私はこの本を読んでから、仕事は仕事と割り切るようになりました。
このほうが楽です。
仕事に身を捧げて、人生を生きるのはやめましょうということですね。
たぶん、幸せになりません。
私はそれで失敗しているので、妙に納得しました。
・愛する人生を選べ
今回の主題といっていいでしょう。
堀江さんなどがよく言っていますが、結婚がオワコン化している現代。
愛については万人の悩みのはず。
正解なさそうですし。
そんな中、アドラーは愛に切り込んでいきます。
そして、私はこの記載を信じて、結婚に踏み切りました。
正解かはわかりません。しかし、「いまをダンスする」のです。
早速、 重要なところをまとめていきましょう。
自立とは自らの愛を持つこと
まず、我々人間は生きていくために、愛されるためのライフスタイルを選択するとあります。
これは、当然ですが、幼児・子供は自分一人で生きていく力がないので、親・周りの人間に愛されなければ生きていけません。
そこで、人は愛されるライフスタイル、すなわち自己中心的なライフスタイルを構築します。これは必然ですね。
しかし、いつまでも「世界の中心」に君臨することはできない、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。
この自己中心性からの脱却が「自立」です。
では、自立はどうやって達成できるか。
この答えが「人を愛すること」になります。
自らの愛を持たない限り、与えられる愛の支配からは抜け出すことができないと主張します。
人は愛することを恐れている
人は愛に担保を求めてしまいます。
なぜか。
自分の事を愛せていないからと説きます。
自分の事を尊敬できていないし、信頼できていない。
だから、傷つくに違いない、みじめな思いをするに違いないと決めつけてしまう。
こんな自分を愛してくれる人など、いるはずがないと。
だから、傷つかないように愛に担保を求めます。
しかし、ここでも重要なのが「嫌われる勇気」で出てきた「課題の分離」という概念です。
相手があなたの愛にどう答えるかは相手の課題。
自分には取扱い不可能。
だから、相手が自分の事をどう思っているかは関係なしに、ただ相手を愛する。
愛に身を投げること。
振られたら泣けばいいんですよ。
そしてまた違う人にアタックしてみる。これしかないです。
運命の人はいない
運命の人は幻想である。
そして、運命の人という幻想にすがりつくのは「出会いがない」と嘆く人。
こういう人は向こうから幸せが訪れるものだと思っている。
アドラーは「対象は誰でもいい」といいます。
衝撃でした。
我々はいかなる人も愛することができる。
その意味で愛することは自らの生き方を選ぶことです。
決意であり、決断であり、約束である。
わかりもしない将来を考えず、存在するはずもない運命など考えず、目の前のパートナーと「いま」をダンスする。
やるべきことは、そばにいる人の手を取り、いまの自分にできる精いっぱいのダンスを踊ってみる。
私はこれを信じ、アタックし、ダンスしてきました。
今、結婚して2か月。
将来は分かりませんが、これからもダンスし続けるでしょう。
幸せになる勇気 = 人を愛する勇気
愛の関係に待ち受けるのは、楽しいことばかりではない。
責任は大きく、つらいこと、予期しえぬ苦難もある。
それでも、なお愛することができるか。
アドラーは言います。
幸せを手に入れるには愛しかないと。
愛する勇気、すなわち「幸せになる勇気」を持って、愛に踏み出すこと。
われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放され、愛することよってのみ、自立を成し得る。
愛を知り、人生の主語が「わたし」から「わたしたち」になれば変わる。
愛し、自立し、人生を選べ。と。
本を読み終えて
この愛に関する言葉がなければ、私は結婚していなかったかもしれません。
私は幸せになるために、勇気を持って、愛に踏み出しました。
決していいことばかりではなく、何でもない日々が試練です。
でも、人を愛し、今を生きることにしました。
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