若ハゲ29です。
便利な世の中ですが、果たして個人レベルの幸せは向上したのでしょうか。
私は今29歳ですが、この世代は生まれた時から人生に最低限必要なものが揃っており、幸福の基準レベルが元々高いのだと思います。
そういう人間はさらに高いレベルでの幸せがないと幸福を実感するのは難しいです。
ただ、発展しきっている日本でさらなる成長というのは厳しいのが現状です。
そういう意味で、生きづらい世の中になったな~と思います。
世界レベルで見ると、めちゃくちゃ贅沢な悩みですが、幸福の基準レベルが高いってのは不幸な気がします。
幸せの実感がない・・・。
そんなとき、メンタル面は非常に重要です。
どういう心構えで生きていけばいいのか?
そんな記事を書いていきます。
不幸でも生きていけるようにする
参考書籍
ハードルのメダリスト「為末大」選手と僧侶の「南直哉」さんの対談本です。
哲学的な2人の会話は非常に面白いです。
今回はこちらの書籍を参考にしたいと思います。
人間は本来ダメなもの

仏教徒の南さんの本は前にも過去記事で紹介しました。
南さんの話はリアルに心に響いてくるので面白いです。
徹底的にリアリストなんだと思います。
何物にも期待しない態度が根底にあります。
そんな南さんは仏教の面白さはアンチヒューマニズムにあり、人間は本来ダメなものだという思いが仏教にはあると。
それでも世の中は表向き、楽しく生き生きと充実していなくちゃいけないという前提があります。
どうして、そのような前提があるかというと、人生は本当は楽しくも前向きでもないからだという理由です。
核心をついた言葉だと私は思いました。
戦争は1950年まで全世界を巻き込んでやっていましたし、黒人を奴隷として酷使したり、飢餓や疫病で人口が半分以下になったりと。
このような環境ではとても、生き生き・充実したなんていう思考は出てきませんよね。
そう考えると、本来人間ってそんなに輝かしい存在ではないのではと思いました。
むしろ過ち、不幸が訪れて当然の存在です。
ここ最近のテクノロジーの発展で人生を錯覚していたのかもしれません。
楽しくなくてもしょうがないか

南さんは「世の中楽しく生きるべきだというようなことを皆言い過ぎだ」と警鐘を鳴らします。
南さん自身は「楽しくなくてもしょうがないか、それはそれで構わないというところで生きてきた。そういう生き方もある。」とおっしゃいます。
この言葉で救われる人がいるのでは。
幸せを持続させるのは本当に難しいです。
どっかで躓いたり、失敗したり、それで不幸になるというのが誰しもあります。
周りの人間はとても幸せもそうで、何で俺だけ!?
周囲と比較して、人生を悲観していくと、自ら命を絶ってしまうことだってあります。
そんなとき、この価値観が大切なのではないでしょうか。
「楽しくなくてもしょうがないか、それはそれで構わないというところで生きる。」
一見、寂しい言葉に見えます。幸福を放棄したような言葉に。
でも、視点を変えると、生きているだけで価値があるという言葉です。
人間に生きる意味はない。
言ってしまえば、自殺してはいけない理由もない。
だけど、生きると決めたその態度に価値があると。
自ら死なないってことに意味があるように思います。
その心境であれば、ある程度の不幸は許容して生きていけるのでは。
自分と折り合いをつけて、生きていくというのは非常に重要だなと思いました。
生き生き、充実以外の生き方を知らないと、不幸があったときに行き詰ると思っています。
現に私がそうでした。
不幸でも生きていけるようにする

著者は言います。
「生きる意味を探すより死なない工夫を」
「不幸でも生きていけるようにした方が、みんなで頑張って幸福になるよりもずっとまともな道をいきられる」
そうかもしれません。
不幸は突然やってきます。
東日本大震災のような災害に見舞われたら、いくら対策しようがどうにもなりません。
不幸への対策なんてしようがないし、今までの幸せが根本から崩壊することだってあります。
そんなとき、幸福ばかり追求していたのでは、いつか限界がくる気がします。
ここは、不幸でも生きていけるぐらいの気持ちでいた方がいいでしょう。
この言葉が日本を救うときが必ずくると思っています。
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