後悔のない生き方に対する疑問


若ハゲ29です。

コービー・ブライアントの訃報について

2020年1月28日


コービー・ブライアントが1/27にヘリコプターの墜落により41歳で亡くなりました。
またコービーの娘ジアナさんもヘリに同乗していました。
13歳というあまりにも若すぎる死です。


何かしら自分に影響のある人物が亡くなったとき、今までの価値観が揺さぶられます。
本当に自分の人生はこのままでよいのかと。


死に際してよく言われるのは、後悔せずに生きよという言葉です。
ですが、後悔のない生き方なんて本当にできるのかと思うのです・・・。


後悔のない生き方に対する疑問



タイプで生き方は異なる


コービーは常に挑戦していました。


現役時代は史上最高のバスケ選手になること。
引退後はエンターテイメント、教育など様々な分野でプロジェクトをスタートさせていました。


コービーに限らず何かに向かって常に走り続けている人間というのが一定数います。


彼らは何かを達成するのが好きなタイプだと思います。
大きな夢・目標をぶち上げて、それに向かって全力疾走する。


こういう生き方は凄く輝かしく見えますね。
そして、物凄い努力を重ねるので、結果を出すのもこのタイプの特徴かと。


死について考えるとこのタイプは、何かに挑戦し、後悔せずに死にたいと考えているように思えます。


ちなみに私は何か大きいことを成したいというタイプではないのです。
平和で幸福な日常が送れればそれでよい。


受験勉強で努力し結果が出たときは嬉しかったですが、あくまで結果に満足したのであり、その勉強した過程1年間が楽しかったかというとそうでもないんですよね。


例えば、会社で出世街道を走るために頑張るとします。


役員クラスまで上り詰めるのならばその会社の中で誰よりも必死に努力しなければたどり着けないですよね。


仮に上り詰めたら嬉しいが、その30年ぐらいの過程はつらく厳しいものであり、果たして自分に適した人生だったのかというと疑問符がつきます。


私は目標に向かって最大限努力するという生き方があんまり馴染まないのです。
簡単に言うと、得られる大きい結果に対する満足が長い苦痛を上回らないということです。


私にとってあくまで大事なのは幸せな時間の総量です。
達成した成果の大きさにはそこまでこだわりがありません。


人生の残り時間で生き方は変わる


私タイプの人間であれば、幸せな時間が増えれば増えるだけよいと単純な思考になりがちですが、ことは単純ではありません。


幸せの定義は「残りの時間」で考えると難しいのです。


あと3年で死ぬとしましょう。
私であれば、貯金を切り崩せば3年は何とかなります。


であれば、まず仕事を即刻で辞めます。
そして貯金を年で割り、その金額で最大限楽しいであろう暮らし方を実現するでしょう。


嫁はまだ26歳ですから、3年で死ぬ私より違うパートナーを見つけたほうが、彼女の幸せに繋がるとも考えてしまいます。
私とあと3年一緒にいてくれっていうのは、私のエゴではないでしょうか。


彼女の幸せを最大限に考えるのならば、別れるという選択肢だって当然出てきます。
若いほうがパートナーは見つけやすいのです。


では90歳まで生きると考えましょう。
大体の人はこれぐらいの期間で人生を考えているはずです。


であれば、仕事をすぐ辞めるわけにはいけません。
現状で考えられる最も良い条件の仕事をしているわけですから。
また、90歳まで人生があると現状の貯蓄だけでは全く足りないですし・・・。


そして最愛の妻ですから。
90歳まで生きるとすれば直ちに別れるという選択肢は出てきません。


あと20年で死ぬと考えるとどうでしょうか。
何かをするには十分な期間に思えます。
かといって働かないでいるには長い期間ですね。


やはり生きる期間で人生は違ってきます。


「いつ死んでも後悔のないように生きよ」と言うのは簡単なのですが、生きる期間で取るべき戦略が大きく変わるので難しいのです。


問題は生きる期間が分からないこと


そして冒頭のコービーの話に戻ります。


コービーは41歳で亡くなりました。
41歳で死ぬなどコービーを含めて誰も分からないことです。


でも、コービーは常に全力疾走していました。
バスケには後悔はないでしょう。
ただ、第二の人生には後悔があることでしょう。


娘さんが亡くなったことは後悔を通り越してただただ悲しいことでしょう。
家族とのこれからの時間を失ったことや娘全員の成長を見られない後悔だってあります。


コービーは少なくとも40代で死ぬなんて想定していなかっただろうし、長期スパンを想定した人生を送っていたわけであります。

ですが、コービーは後悔のないように日々を生きていたであろうと思います。
すべてに全力だった。
自分の心に忠実だった。
とてつもない功績を残した。


ですが、結果からみると人生に後悔がなかったのかというと違います。
つまり、どう生きようが後悔はある。
コービーほどの男ですら後悔は消せなかったのでは・・・?


以上から、私は「後悔がないように生きろ」というのは無理だなと確信した次第であります。


41歳で死ぬなら後悔あるやろと・・・。
どう生きたってさ。


いつ死んでも納得できる生き方


死ぬときの後悔は失くせないでしょうね。
90歳まで生きれば話は別なんでしょうけど。


「後悔」という単語が「死」と相性が悪いように思えます。


後悔ではなくて「納得」が私のキーワードです。
いつ死んでも納得できる状態にしておくというか。


死ぬのは不本意だけど、まぁ受け入れようという精神です。
そこそこの人生を過ごせたかなといった達観した状態です。


私の例でいえばこうです。


私は働くのが大嫌いなので貯蓄をしています。
そこまで働かなくても何とかなるお金が必要だからです。


しかし、貯蓄をしている段階で死んだら本末転倒なわけです。
貯蓄なんかせずに残りの人生を楽しんでいればよかったわけですから。


ですが、貯蓄をしている段階で死ぬことなんて事前に分からないわけです。
想定より長く生きる場合あるわけですから、貯蓄を辞めようと即決はできないですよね?


とすると、一つの決断が入ります。


これは「一つのギャンブル」。
どちらかに掛けるという決断が必要です。


早くに死んだら、貯蓄を選んだ自分の負け。長く生きたら貯蓄を選んだ自分の勝ち。


そしてギャンブルに負けたとしても、それはそれで納得できると思うのです。
自分が選んだ決断ですから。


俺は負けたと。
だけど、この負けは仕方ないと思えるようになる。


こういう納得感をあらゆる決断に適用していったほうがいいと思いました。


最悪のケースを想定しておくとギャンブルにたどり着きます。
そしてどちらかに掛けたなら、死ぬときは納得できると思うのです。


まとめると、「決断と負けた時の納得感」をセットにしておくと。
死ぬときの後悔は失くせませんが、納得して死ぬことはできると思います。

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