コービーが残してくれた人生再考の機会


若ハゲ29です。

コービー・ブライアントの訃報について

2020年1月28日


コービー・ブライアントが残してくれたものは人生を再考する機会です。
本当に彼の死が悲しいならば改めて自分の人生に向き合う必要があると私は思います。


どんな偉人であろうと必ず死ぬのだと。
いつ自分の人生が終わるのかは本当に分からないのだと。
コービーが教えてくれた気がしています。


彼の死を受け入れたならば、自分の人生を見直さなければなりません。


コービーですら41歳で死んだのです。
我々はもっと早くに死ぬかもしれません。
彼の年齢で死ぬならば私ですとあと約12年後に死ぬことになります。


コービーの娘のジアナさんは13歳で亡くなりました。
私たちは自分達が今生きていられる幸運を認識し、改めて人生を無駄にすることは避けなければならないと思いました。


コービーが残してくれた人生再考の機会



終活は高齢者だけの活動ではない



高齢者のブームで終活があります。
死ぬ前に色々整えてから死ぬという活動ですが、コービーの死を目の当たりにして、我々アラサーも終活するべきなのではないかと思います。


若者の終活としては「人生をいかに生きるのか」という自分との対話になるかと思います。


コービーが人はいつ死ぬのかわからないということを教えてくれた気がします。
死ぬときに後悔しか残らないような生き方は避けなければならないと強く感じています。


人生に正解というのはもちろんないでしょう。


こうすればいい、こうすべきであるなどはあるにせよ、全員に当てはまることではありません。


全員が勤勉に働くべきだとなっても、末期癌の患者には当てはまらないように、人各々ですべきこと、やりたいことは異なってくるでしょう。


それぞれが自分と対話して、自分なりの方向性を決める必要があります。


持論ですが私は納得する人生を過ごしたいと思っています。
自分が自らの人生に納得している状態を作るというのが私なりの答えです。


決断して失敗しても納得できるならば仕方ないといったところでしょうか。


私の人生の方向性は「納得」になるわけです。
コービーであれば「勝利」になるかと。


コービーであれば負けるぐらいなら死んだほうがマシというぐらいの価値観になるかもしれません。
負けは人生で避けて通れないぐらいに私は考えているので、私とコービーでは目指す方向が明確に違うわけであります。


人全員がそれぞれ微妙に絶対視するものは違うため、やはり正解はありません。
ただし、自分の価値観を失い、世間の価値観に流され、死ぬ間際に後悔するのだけは避けなければならないと強く思います。


果たして納得できるのか



私であれば、仮に41歳で亡くなるとしても、それまでの41年間の生き方に41歳の時点で「納得」していたのなら死を受け入れられる気がしています。
コービーが亡くなった41歳ならば私の場合はあと12年間ありますから、その準備は整う可能性はあります。


ですが、死は自分が望んだタイミングでは来ないわけです。


明日交通事故に遭って死ぬと考えましょう。
私は29歳ですが、まだ死にたくはありません。


当然、明日死ぬことは受け入れられません。
しかし、死は来てしまった・・・。


今の私であれば死ぬ直前に後悔します。
なぜ~をやらなかったのかと。


自分の子供の顔もまだ見ていませんし、今までの時間を最大限に有効活用できたようにも思いません。


では何か達成していれば後悔なく死ねるのかというとそうでもないかと。
あと50年は生きられたのになぜ今死ぬのだという「残りの人生を生きられないこと」に対する後悔は絶対に残るでしょう。


コービーはNBAで頂点に立ちましたが、亡くなる直前には41歳という若さで死ぬことの後悔はよぎったのではないかと思います。
彼にはもっと多くのやりたいことがあったはずです。


コービーの娘のジアナさんの場合であればどうでしょうか。
13歳で亡くなったのです。
後悔がないはずがありません。


彼女には前途有望な可能性が広がっていた。
世界でも有数の資産家のご令嬢なのです。
これから経験できたであろう素晴らしい機会を一瞬にして奪われたのです。


死を受け入れるなんて到底できないように思ってしまいます。


特に若い死というのは残酷すぎて直視できるものではないのです。


結論なんかすぐに出ない



私の場合、いつ死んでもいいと思えるような「納得感」を得ることが重要だと思いました。


仮に明日死ぬとしたら後悔しかありませんし、若い死に対しては解決策などないでしょう。


以降はある程度の長期間で考えますが、今後数年、数十年の間にどうすれば納得できるでしょうか。自分を例にとって考えてみます。


自分が納得するためには、まず自分が幸福であることが必要かと思います。


私は夢に挑戦し続けて叶わないならばそれでよいというタイプではないのです。
ある程度の幸せは担保しておきたいのです。


私にとって壮大な夢というのは不要です。
かといって苦しい労働を長年続ける気もありません。


ゆったり毎日を過ごせたらいいなと思っています。
そのためにはお金がある程度は必要なのです。


ということは、「節約して貯蓄して長期投資で資産を築く」という現在の戦法は私の価値観にマッチしています。


問題はこの貯蓄段階で死ぬことです。
労働している最中に死ぬなんて避けたい・・・。


ゆったりするなら今すぐ仕事を辞めてダラダラ生きるという選択肢もあるのです。
だって41歳で死ぬとわかっていたら仕事なんて即辞めるんですから。


ですが、そんな極端な選択肢はすぐには取れないわけですよ。
ことは単純ではないのです。


ですが、コービーからしたら笑っちゃうような悩みですわな。
私は凡夫なんですよ。
小さいことで悩むのです。


この辺の見極めというのは私の課題だと思っています。
コービーの死を前にして、課題に真剣に取り組まなければならないと感じています。


自身の価値観を再認識して、それに向かって人生を歩むことが大事。
決めた道を歩む過程で出てくる課題を解決していくことが、死を受け入れる方法だと私は考えています。


最後に見城徹さんの名言でこの記事をしめます。
これからの人生を大切にしたいと思います。


「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人たちがどうしても生きたかった明日だ」

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